岡田裕之のストーリー

~負けず嫌いの競争嫌い
ここでは「負けず嫌いの競争嫌い」な私。
岡田裕之のこれまでの歩みを、すこし人間味のあるかたちで綴ってみたいと思います。
直接、今の仕事に関係ないようでいて、実は深くつながっている“心のルーツ”のようなもの。「どんな人なんだろう?」と思っていただけたら、そっとのぞいてみてください。
第0章|感性と論理のはざまで 〜少年時代の記憶〜
私が生まれたのは、京都のお寺に隣接する細い路地。 幼少期は、大阪府・枚方の街で育ちました。
幼稚園の頃から、どうも集団行動が苦手でした。 お遊戯や決まりごとができず、見かねた母が近所の「お絵描き教室」に連れて行ってくれたのが、私と“感性”との最初の出会いでした。
小学校では、「負けず嫌いの競争嫌い」な子ども。 “人と同じこと”を極端に嫌い、変わった遊びやお絵描き、立体物、ストーリーごっこなど、自分の世界に夢中になっていました。
通っていたスイミングスクールでは、一つ年上のちょっとクリエイティブなお兄さんと出会い、 絵を描いたり、面白いことを考えたりする楽しさを、初めて“共有”しました。
一方で、学校では先生にうまくなじめませんでした。 「仲間」「協力」「友情」などの押し付けられる正しさが苦手で、当番から逃げ回っていた私。 そんな中でも、障害のある友達たちと一緒に生き物や植物の世話係をするのは、むしろ楽しんでやっていた記憶があります。
受験期になると、近所の秀才のお兄さんに猛烈な特訓を受けて、なんとか私立高校へ。 おかげさまで成績もよく、美術の先生に才能を認められて、「有頂天時代」を過ごしました。
でも、やっぱり私は“人と同じ道”を選ぶことができなかったのです。
学校から勧められた特別進学クラスには進まず、部活動をしながらアート研究所に通うという、自分なりの選択をしました。

思えばこのころから、私はずっと「感性」と「論理」の間で揺れ動いていたように思います。
第1章|成長の喜びに目覚めた、スイミングスクール時代
18歳、スイミングスクールのコーチとしてアルバイトを始めた私は、 子どもたちや選手たちの“変化する瞬間”に立ち会えることに、深い喜びを感じました。
情報が少ない時代に、コーチング心理学を応用し、イメージトレーニングや音楽を使った練習、 フィードバック表の交換など、独自の工夫を重ねました。
そのスクールは、後に大きなスポーツクラブへと成長していきます。
「人が育つ瞬間」に立ち会う感動——それは、私の原点になりました。

第2章|ビジネスの世界で見た、“目的”の力
就職してからは、イベント、都市開発、広告、免震構造まで、さまざまな分野のプロジェクトを経験。
印象深いのは「全長25mのリムジンを御堂筋で走らせる」という社長の夢を、必死に実現させたこと。 そして、阪神淡路大震災下、神戸の工場が被災した中で進めた「東京湾横断道の免震構造」プロジェクト。
混乱の中で仕事を進めるなか、「人には目的がある。そこにフォーカスすると、ビジネスはうまくいく」という真理を体感し、会社の業績にも大きく貢献できました。

第3章|父の死と「再創造」への第一歩
起業家でもあった父の突然の死。 それは私に「人生は一度きりだ。やりたいことをやろう」という覚悟をもたらしました。
私は会社を飛び出し、仲間たちと書籍を出版し、自費で経営大学院へ通うことを決意。
大企業から来た先輩方と切磋琢磨する中、「論理だけでは答えは似てしまう」と感じ、 “感性の視点”を加えることで、ユニークな価値が生まれることを実感しました。

第4章|実践と研究、そして全国展開へ
大学院では人間科学(産業組織心理学)を研究し、 「心のフィットネス・セミナーがもたらす心理的効果」を300名に対して測定。
その後、厚生労働省「健康日本21」モデル事業にも参画し、 500名を対象に4年間のメンタルコーチングを実施。
そして、アメリカで開発された実践心理学プログラムを全国に展開。東京・大阪・名古屋を皮切りに、全国100クラスへ。5年で「業界世界一」にまで成長しました。

第5章|セントラルパークでの決意と、ゼロからの再出発
東日本大震災がすべてを変えました。 経営の腕力が足りなかった私は、事業の手綱を取り戻せず、多くのものを手放すことになります。
その後、アメリカへ渡り、帰国前に立ち寄ったセントラルパークの木の下で、私は決意します。
「ヨシ、自分が“復活者”になろう」
現実は変わらなくても、マインドのリアリティーが変われば、世界の見え方が変わる。 この体験が、私の第二の創造の原点となりました。

第6章|創造的マインドの支援者として
2011年、全国100クラスを手放し、私は「人とチームの創造力をサポートする専門家」として再スタートを切ります。


現在は、企業・病院・学校・公共機関など、多様な場面での支援を行い、 自ら開発した「感性アートメソッド」は全国で実践者が増えています。
留学生の夢支援プロジェクト、企業のヴィジョン共創、リーダー育成など、 「答えのない時代に、答えをつくる」活動を続けています。
第7章|これから——創造力を磨く“心のフィットネス”へ
今後は、ウェルネス領域にも展開を予定しています。
「健康で長生き」だけでなく、「自分らしく、創造的に生きる」ことをサポートする、 創造的マインド・フィットネスをスタート予定。
同時に、「感性アートメソッド」の認定プログラムをさらに充実させ、 教育者・医療職・コーチ・コンサルタントなど、質の高い実践者を育てていきます。
終章|ライフワークとしてのこの仕事
水泳では、ジャパンマスターズや世界マスターズに挑戦し続け、 目標は「かつての自己ベストを超えること」。
日々は、愛犬jinや家族と静かに暮らしながら、 感じたことをアートに描き、時々ギターを弾いています。
子どものころ憧れた、「すごい人を支える人」。 それは今も変わらず、私の仕事であり、人生のライフワークです。

最後に・・・
「負けず嫌いの競争嫌い」は、やがて“ポジションの重要性”という気づきへとつながり、
当時の「感性と論理の揺らぎ」は、いまの「アート思考 × 人間科学 × 実践知」へと進化しました。
これからも私は、
「どうすれば、人の創造性は引き出せるのか?」
その問いを、人生をかけて探求し続けていきたいと思っています。
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